低線量被ばくのリスク管理に関するワーキンググループ報告書 の問題点 その(1)
WGの会合に専門家として招待された児玉和紀氏(放射線影響研究所主席研究員)はこの(Preston et al., 2007)の共著者である。しかし、同WGの報告では、上記のグラフを引用しつつも低線量での影響があることを示すものではないとしている[10]。
なお、死亡については(Preston et al., 2003)、罹患については(Preston et al., 2007)の方が後に行われたため、症例数も多い。それぞれ固形ガンについてのERRを0.47/Sv、0.47/Gyと推定している。ただし、線量について前者はDS86、後者はDS02を用いているため直接の比較はできない。これについて(Preston et al., 2004)は、固形ガンによる死亡について、それぞれの線量を用いたERRを推定した。DS86では0.45/Sv、DS02では0.42/Svであり、後者の方が値を低めに評価する傾向がある。線量評価方法が異なるが数値が同じということは、DS02を用いた罹患率の方がERRが高いことを示唆している。
WG報告書では次の節で長期的な被曝のリスクについての知見を紹介しているが、国内外の原子力・核施設従業者調査の結果を無視している。さらに、ここで引用した研究群についても、低線量に限定して分析することや、ほとんどの研究で複数のモデルを推定してもモデル選択の統計量が示されていないこと、相関の高い線量の1次項と2次項を同時に入れて推定していること、さらにはモデルそのものの定式化など、方法論的な問題がある。これらについては、別の機会に報告する[13]。
1.はじめに
(低線量被ばくのリスク管理に関するワーキンググループ, 2011)が提出した報告書(以下WG報告書)には、さまざまな問題があるが、ここでは「2.1 現在の科学でわかっている健康影響(1)低線量被ばくのリスク」の問題点を指摘する。
2.同報告書の記述
・「①低線量被ばくによる健康影響に関する現在の科学的な知見は、主として広島・長崎の原爆被爆者の半世紀以上にわたる精緻なデータに基づくものであり、国際的にも信頼性は高く、UNSCEARの報告書の中核を成している。
イ)広島・長崎の原爆被爆者の疫学調査の結果からは、被ばく線量が100 ミリシーベルトを超えるあたりから、被ばく線量に依存して発がんのリスクが増加することが示されている[1]。(同報告書, p.4,下線は引用者による。)」
ここで引用されている[1]とは下記の論文である。
Preston, DL, Y Shimizu, DA Pierce, A Suyama, and K Mabuchi
(2003), "Studies of mortality of atomic bomb survivors. Report 13. Solid
cancer and noncancer disease mortality: 1950-1997," Radiation Research,
160 (4), 381-407.
3.上記部分の問題点
この部分について、(1)初歩的な誤り、(2)低線量での線形仮説を支持する研究結果の無視の無視、(3)その他のガン、ガン以外の疾病の無視、(4)罹患(発症)の無視という4つの問題点を指摘する。
(1)初歩的な誤り
WG報告書では「発がんのリスク」とあるが、上記の(Preston et al. 2003)はタイトルにあるよう「発ガン(罹患)incident[1]」ではなく、mortality(死亡率)を分析している。incidentの分析を行ったのは1958–1998年のデータを用いた(Preston et
al., 2007)である。後述するようにガンに罹患した者の一部が死亡するので、母数としても、また過剰相対リスクも罹患の方が大きい。発ガン(罹患)と死亡の区別は明確に行うべきである。
(2) 線形仮説を支持する研究結果の無視
WGが引用した(Preston et al., 2003)は、以下に紹介するように100mSv以下までを含む閾値なしの線型モデルが適切であると結論づけている。つまり、「被ばく線量が100 ミリシーベルトを超えるあたりから、被ばく線量に依存して発がんのリスクが増加する」という閾値を想定した報告書の記述は誤りである。
以下、(Preston et al., 2003)の結果、関連研究を紹介する。彼らは、次式のポアソン回帰によって分析した。
λ0(s,a,e)[1+ρ(d) ks exp(θe+γlog(a))]
ここで、λ0はベースラインであり、性別s、被爆時年齢a、(調査時)到達年齢eの関数である。被曝量dについては、放射線の影響が直線的なのかを確認するために以下の5種類の定式化を行った。
線量にかかるパラメータβは「過剰相対リスク (excessive relative risk)」と呼ばれ、被曝量が1Sv増加したとき増加する死亡数の割合を示している。以下、このパラメータのことをERRと表示する。
推定した結果、単純な線形の関数を否定する証拠は得られなかったとしている[2]。下の図は線形モデルの推定結果とノンパラメトリックな推定値をあわせて示したものである。線型モデルの傾き、つまり過剰相対リスクERRは0.47であり、1Sv被曝すると(死亡者のうち)固形ガンで死亡する者の割合が(被曝しない者と比べて)47%増加することを意味する。
ノンパラメトリックな推定値(黒い点)をみると2Svを越える部分で平坦になる傾向があるが、直線からの乖離は統計的には有意ではないとしている。さらに、低線量部分では、黒い点が直線よりも上に来ておりリスクが高いようにみえる。このため、被曝量0.12Sv(120mSv)以下のサンプルに限定して推定したところ過剰相対リスクERR=0.74となった[3]。ただし、90%信頼区間は(0.1,1.5)であり、全領域を用いた推定値0.47をこの区間に含んでいる。このため、全体の傾向と有意に異なるとはいえず、ある線量を超えると急に傾きが変化する「閾値」があるとはいえないとしている[4]。
図表 被曝線量-反応関数の定結果(固形ガンでの死亡)
直線:線型モデルでの固形ガンによる死亡の推定結果
点:ノンパラメトリック推定値
出所) (Preston et al., 2003) Fig.2
(Preston et al., 2003)は死亡について分析したが、(Preston et
al., 2007)は、寿命調査 がん「罹患」率データ(1958-1998年)を用いて同様の分析を行った[5]。固形ガンについて、非線形パラメータγは有意ではなく、線形モデルがよくあてはまるとしている[6]。さらに0から0.15Gyの区間で推定しても有意な線量パラメータが得られ、この低線量領域における傾向は全領域での傾向と一致していたという[7]。参考までにいくつかの閾値を仮定して閾値モデルを推定したところ0.04Gyとしたモデルのあてはまりが最良であった。ただし、モデルのあてはまりは線形モデルの方が良好であった[8]。
図表 被曝線量-反応関数の定結果(固形ガンの罹患)1958−1998年
太い実線は、被爆時年齢30歳の人が70歳に達した場合に当てはめた、男女平均過剰相対リスク(ERR)の線形線量反応を示す。太い破線は、線量区分別リスクを平滑化したノンパラメトリックな推定値であり、細い破線はこの平滑化推定値の上下1標準誤差を示す。
この他、これらよりも古いデータを用いているが(Pierce, et al., 1996; Pierce & Preston, 2000)でも低線量領域で被曝によってガンによる死亡、罹患率が有意に増加することを見いだしている。
なお、これらの研究は複数のモデルをあてはめているものの、モデル全体の適合度指標が明示されていないという問題がある[9]。これに対して、(Richardson et al., 2009)は、白血病について同様の分析を行い、AIC(赤池の情報量基準)によってモデル選択を行った。この結果、慢性骨髄性白血病、急性リンパ性については線形モデル、急性急性骨髄性白血病、白血病全体については1次および2次の項を導入したモデルのあてはまりが最良であったという。つまりいずれについても閾値モデルは採用されていないのである。
WGの会合に専門家として招待された児玉和紀氏(放射線影響研究所主席研究員)はこの(Preston et al., 2007)の共著者である。しかし、同WGの報告では、上記のグラフを引用しつつも低線量での影響があることを示すものではないとしている[10]。
(3)その他のガン、ガン以外の疾病の無視
これらは固形ガン全体についての分析結果だが、(Preston et al., 2003)は14部位別の推定を行い、10部位について正で有意なパラメータが得られている (下の図参照)。最もリスクが高い膀胱bladderガンでは症例数は少ないもののERR=1.25程度となっている。
●は点推定値、線は95%信頼区間。
出所) (Preston et al., 2003) Fig.4に加工。
さらに、彼らは心臓病、脳卒中、呼吸器疾患などによる死亡についても推定した。その結果、ERRは0.14前後と低いものの正で有意な値が得られている。
また、(Richardson et al., 2009)は白血病について推定し、症例数は少ないものの[11]慢性骨髄性白血病で6.39、急性リンパ性で3.7、白血病全体でも1.55という有意な推定値を得ている。
放射線による影響は成長の阻害など多岐にわたる(放射線影響研究所, 2007)。WGは固形ガンによる死亡のみに注目しているが、他のリスクについても注目すべきである。
(4)罹患(発症)の無視
ここまでは「死亡」に注目したが、罹患してから死亡するのであって、罹患の方が症例数が多く、統計的検定力が高まることが期待される。(Ron et al., 1994)によると、1987年時点のデータで固形ガンの罹患数8,612件、死亡数は6,887件が登録されていた。それぞれについて推定し、死亡のERRが0.47であるのに対して、罹患のERRの方が0.65と高いことを示した[12]。彼らは部位別にも推定しているが、多くの部位で死亡率よりも罹患率のERRの方が高くなっている。
なお、死亡については(Preston et al., 2003)、罹患については(Preston et al., 2007)の方が後に行われたため、症例数も多い。それぞれ固形ガンについてのERRを0.47/Sv、0.47/Gyと推定している。ただし、線量について前者はDS86、後者はDS02を用いているため直接の比較はできない。これについて(Preston et al., 2004)は、固形ガンによる死亡について、それぞれの線量を用いたERRを推定した。DS86では0.45/Sv、DS02では0.42/Svであり、後者の方が値を低めに評価する傾向がある。線量評価方法が異なるが数値が同じということは、DS02を用いた罹患率の方がERRが高いことを示唆している。
このように、罹患率の方が症例数が多いだけでなく、過剰相対リスクも大きいのである。死亡にのみ注目すべきではない。
4. まとめ
ここでは、WG報告書「2.1 現在の科学でわかっている健康影響(1)低線量被ばくのリスク」の問題点を指摘した。同報告書では、広島、長崎の被爆者データの信頼性が高いといいつつも、「低線量での線形仮説を支持する研究結果の無視」「その他のガン、ガン以外の疾病の無視」「罹患(発症)の無視」といった問題を指摘した。死亡だけでなく罹患すること自体もリスクであること、ガンだけでなく他の疾病もリスクであることを考えると、これらを無視しているWG報告書はリスクを低く評価しているといわざるを得ない。
WG報告書では次の節で長期的な被曝のリスクについての知見を紹介しているが、国内外の原子力・核施設従業者調査の結果を無視している。さらに、ここで引用した研究群についても、低線量に限定して分析することや、ほとんどの研究で複数のモデルを推定してもモデル選択の統計量が示されていないこと、相関の高い線量の1次項と2次項を同時に入れて推定していること、さらにはモデルそのものの定式化など、方法論的な問題がある。これらについては、別の機会に報告する[13]。
参考文献
Hamaoka, Y. 2011. A
Search for Better Dose-Response Function. Paper presented at the 14th
International Congress of Radiation Research, Warsaw, Poland.
Pierce, D. A., &
Preston, D. L. 2000. Radiation-related cancer risks at low doses among atomic
bomb survivors. Radiation Research, 154: 178-186.
Pierce, D. A.,
Shimizu, Y., Preston, D. L., Vaeth, M., & Mabuchi., K. 1996. Studies of the
mortality of atomic bomb survivors. Report 12, Part I. Cancer: 1950-1990. Radiation
Research, 146: 1-27.
Preston, D., Shimizu,
Y., Pierce, D., Suyama, A., & Mabuchi, K. 2003. Studies of mortality of
atomic bomb survivors. Report 13. Solid cancer and noncancer disease mortality:
1950-1997. Radiation Research, 160(4): 381-407.
Preston, D. L.,
Pierce, D. A., Shimizu, Y., Cullings, H. M., Fujita, S., Funamotoa, S., &
Kodama, K. 2004. Effect of Recent Changes in Atomic Bomb Survivor Dosimetry on
Cancer Mortality Risk Estimates. RADIATION RESEARCH, 162: 377-389.
Preston, D. L., Ron,
E., Tokuoka, S., Funamoto, S., Nishi, N., Soda, M., Mabuchi, K., & Kodama,
K. 2007. Solid Cancer Incidence in Atomic Bomb Survivors: 1958–1998. Radiation
Research, 168(1): 1-64.
Richardson, D. B.,
Sugiyama, H., Nishi, N., Sakata, R., Shimizu, Y., Grant, E. J., Soda, M., Hsu,
W. L., Suyama, A., Kodama, K., & Kasagi, F. 2009. Ionizing radiation and
leukemia mortality among Japanese Atomic Bomb Survivors, 1950-2000. Radiation
Research, 172(3): 368-382.
Ron, E., Preston, D.
L., Mabuchi, K., Thompson, D. E., & Soda, M. 1994. Cancer Incidence in
Atomic Bomb Survivors. Part IV: Comparison of Cancer Incidence and Mortality. Radiation
Reseach, 137: 98-112.
低線量被ばくのリスク管理に関するワーキンググループ. 2011. 低線量被ばくのリスク管理に関するワーキンググループ報告書: http://www.cas.go.jp/jp/genpatsujiko/info/news_111110.html.
放射線影響研究所. 2007. 放射線影響研究所要覧 http://www.rerf.or.jp/shared/briefdescript/briefdescript.pdf.
[1]放射線影響研究所では、incidentの訳として罹患(率)という語を用いている。なお、罹患と死亡のリスクを比較するには絶対リスク評価の方がわかりやすいが、WG報告書で扱われている相対リスクに注目してコメントする。
[2] "There is little evidence against a simple linear dose response, with
the only apparent curvature being a flattening for those with dose estimates
above 2 Sv that is not statistically significant (P . 0.5).
,(Preston et al., 2003, p.386)"
[3] このように分析範囲を限定すると推定値の標準誤差が大きくなり、係数が0であるとい帰無仮説が棄却されにくくなるという問題がある。範囲設定の任意性も問題である。これらについては別の機会に論ずる。
[4] “Direct assessment of the radiation-associated solid cancer risks at low
doses in the LSS indicates a statistically significant increase with dose when
analysis is restricted to survivors with dose estimates less than about 0.12
Sv. The ERR per Sv estimate over this range is 0.74 (90% CI 0.1; 1.5). There is
no indication that the slope of this dose–response curve over this low-dose
range differs significantly from that for the full range (P . 0.5) and
no evidence for a threshold. ,(ibid., p.386)”
[5] Preston et al.. (2003)では線量についてDS86が用いられたが、Preston et al.(2007)ではDS02という修正された方法が用いられている。このため推定値については直接の比較はできない。また、被曝量の単位についても前者ではSv、後者ではGyが用いられていることに注意。Preston et al.(2004)によると、固形ガンのERR(男女平均)はDS86では0.45/Sv、DS02では0.42/Svとされている。
[6] "The circles indicate the ERR at the mean dose in each of 22
specific dose categories. It can be seen that the linear dose response fit the
data well. There was no significant linear-quadratic non-linearity in the dose
response over the 0- to 2-Gy dose range (P=0.09). (Preston et al., 2007,p.10)"
[7] “There was a statistically significant dose response in the
range of 0–0.15 Gy (P=0.06), and the trend in this low-dose range was
consistent with that for the full dose range (P >0.5). (ibid., p.10)”
[8] “Based on fitting a series of models with thresholds at the
dose cutpoints in the person-year table, the best estimate of a threshold was
0.04 Gy with an upper 90% confidence bound of about 0.085 Gy. However, this
model did not fit significantly better than a linear model. (ibid., p.10)”
[9]全般的にモデルに投入したパラメータの推定値、統計検定量などが明示されていないという問題がある。
[10] 児玉和紀「原爆被爆者における低線量被ばくの影響」
[11] Preston et al.(2004)も白血病の推定を行ったが、なぜかERRではなくEARモデルのみを用いている。
[12] 線量はともにDS86である。
[13] Hamaoka(2011)ではポアソン回帰だけでなく、負の二項分布、zero-inflatedモデルなどを適用した。